2025.01.10 Fri.
過剰な期待を捨てる
今日は朝から、北風が冷たかった!びゅうびゅう冷たい風にさらされながら、ジウとさんぽに行ってきました。
最近はトトの食欲が止まりません。ご飯をあげると、自分の分を1秒でも早く食べ終えてお兄ちゃん(ジウ)のご飯にちょっかいを出し、おこぼれをもらうのに必死です。ちょっと哀れになるくらい必死です。
「天高く馬肥ゆる秋」ということわざがありますが、うちでは「トト肥ゆる冬」状態。何がそんなにきみを駆り立てるのか、トトよ。
全然話は変わりますが、最近常々思うのが「人に期待しすぎるのは毒」だよなあ、ということです。
人間って誰しも、心理的にやっぱり誰かに頼りたいとか、わかってほしいってて気持ちを誰もが持っていると思うんです。
もちろん人と気持ちが通じ合ったときには、何にも変えがたい喜びがあるのも経験上知っているのですが、そればかり(他者への期待)ばかりになってしまうと、逆に人は不幸になってしまう気がするんです。
期待=欲なので、それが叶わなかったときに、その期待が今度は怒りや落胆になってしまうのですね。強すぎる愛が憎しみに変わるのとおなじです。すみません、愛のことなどよくわかってないのに、かっこつけました。
とにかく本来、その人がどんな反応や行動をするかは相手の領分であって、だからこそ基本的に自分の思い通りに動いてくれないことの方が多いことを、人って忘れてしまうのですね。
家族や友人や仕事相手でも、期待をしすぎて接すると、それが裏切られたときに「なんだよ!」となって苦しい。それはたとえば、応援している芸能人とかでも同じ。相手に過剰な期待をしたあまり、そのk人物が不祥事を起こしたりしたときに「裏切られた!」となって、怒りや絶望になってしまう。それってしんどいですよね。
ネットニュースのコメント欄なんて、まさに相手(芸能人や企業など)に勝手に期待して、それで裏切られたと怒っている人ばかりのようにも思えます。まあ公約を何も守らない政治家とかには怒って当然な気もしますが、会ったこともない俳優やアイドル、自分が勤めているわけでもない企業とかに強い期待を持って、「あれ、自分の思ってなのと違う!なんでこいつはこんな裏切りを!」ってなるのって、ストレスでしかないと思うのです。
そういうわけで、なるべくストレスなく生きるためには、「他者に過剰な期待はしない」ということなんじゃないかと思うのです。しょせん他人は他人。そのくらいの距離感や意識でいた方が、相手を許しやすくなるし、自分も楽ですから。
偉そうなこと言ってますが、僕もつい他者に無意識にすごく期待してしまって、あとで「なんだよ!くそったれ!」と思うことが多いです。それ、やめないとなあと思って、そんなことを最近はよく考えているという話でした。
なんか昨日に続き、長い日記になってしまった。明日はもっと短く終わらせるぞ!
ところで、突然ですが問題です。
問い・上にあげた写真はどんな状況を撮ったものでしょう?
答え・妻のお腹の上に乗ったジウの背中に、フィギュアを乗せた状態です。ジウの背中ってキャンプに適しているようです。
では、また!

2025.01.09 Thu.
新年の教訓
ジウさんはアレルギー持ちなので、しょっちょう目が腫れてしまいます。最近は掻きむしって余計にひどくなってしまって、せっかくの美男子が台無しになってしまったので、病院でストロイドを出してもらってきました。飲ませたら、腫れもだいぶ引いたようです。
ステロイドは効きが強いし人間と同じで猫も副作用があるので、飲ませるのを躊躇していたのですが、あまりに痒そうだったので、しばらくは飲ませて、まずこの痒みと腫れをおさえてみようと思います。もちろんジウさんの体調管理も忘れずにね!
話は変わるけれど新年早々、「やっぱり関わる人や仕事は選ばないとダメだよなあ」という経験がありました。
数ヶ月前にホームページ上に来たインタビューの依頼だったのですが、最初から嫌な予感がしていたんですよ。メールの文面が不躾で横柄で、無償でのお願いとありながら、どこか上から目線という。
あまり興味の持てない企画だったのもあり、最初は断ろうとしたのですが、きっとこの方には大義があり、自分がそれに少しでもお役に立てるならばと思い直して、善意でインタビューに応じたのです。が、やっぱり話しても、「う〜ん」という感じ。
そもそも僕の作品を読んでないか、読んだけど好きでなかったのか、話していてもまるで噛み合わず、途中から「一体なんのために作品の話をししてるんだろう?」と内心バカらしく思っていたのです。
しかもそこにはこちらにはなんの予告もなく同席者がいたのですが、その方にいたっては無気力感丸出しで、「よほど僕の話がつまらないんだなあ」とこっちが申し訳なく思ってしまうほどで……。
結局その後、長いこと相手側から音沙汰なし(その時点で普通はありえない)。これはもう企画がなくなったのだなと内心安堵していたら、今日何事もなかったかのように突然連絡してきて、記事の進行状況などの説明は一切なしに、こちらに顔写真を送ってと要求だけしてきまして… …。
さすがにこれはないなと思って、少し強めの返信。すると、こちらを慮る気一切なし、むしろ強気な返信を相手がしてきたので、その時点でインタビューの掲載はお断りしました。なぜ自分がお願いしてる立場だということを、そして、こちらが掲載されなくても一向に構わないと思っていると想像できないのだろう?
取材される側が自分のために貴重な時間を割いて応じていることへの、感謝の気持ちもなし。インタビュアーとして以前に、人間としての姿勢がそもそもよろしくない。
そういうわけで、新年早々いろいろ思い知らされた一件でした。最初から直感では「これはまずそうだな」とわかっていたのに引き受けて勝手に不愉快な気持ちになっているのだから世話ないです、はい。自分も悪かった。
善意の心を持つことをいつも大事にしているつもりだけれど、ふさわしくない人間にまで善意の気持ちで接する必要なんてないのかも。
そういえば、年始に引いたおみくじの「商売」のところには「損得よく考えるべし」と書いてあったんです。本当にそうだ、今年は受けたくないと思った依頼、自分に損になる予感のするものまで受けるのはやめよう!やっぱり直感は正しい!と思いました。
とはいえ、お仕事で関わらせてもらっている方の大半は、しっかりして信頼できる方ばかり。むしろ僕の方が圧倒的に常識がない気がするので(もともと世間の常識に疎いから小説家なんてやってるというのもある)そんな自分が「この人は非常識だ!」と思うケースって本当に稀。そういう人は方々でトラブル起こすし、そのうち誰からも相手にされなくなるんでしょうが。
なんにせよ、人生短いし、失礼だったり話の通じない人の相手をする時間なんてもったいないですね。気をつけます。
皆さんもお気をつけて。

2025.01.08 Wed.
不便なコンビニ
今朝は比較的あたたかく、おさんぽ中のジウさんも心なしかご機嫌でした。(寒い朝に行くと、ジウは高確率で全身ぶるぶる震えているのです。そんな思いまでして行きたいのか?)
しかし、最近のジウさんは散歩中、前から人が歩いてくるたびに「ワウワウワオー」とかなり大きな声で鳴きだします。
おそらく本人としては、「よっ!おはよう。ちょっとオレのこと撫でてけよ?なあなあ」と言ってるつもりだと思うのだけど(超人懐こい子なので)、なにしろドラ声でワウワウ言うので、どう聞いても「おい何見てんだコラ!やんのか?おら、かかってこいよ!」と喧嘩を売ってるようにしか聞こえないというね…。一緒にいるこっちとしては、ちょっぴり恥ずかしいし気まずいです。
ところで、年末年始の読書には韓国のヒーリング小説の大ヒット作『不便なコンビニ』(著・キム・ホヨン氏)の続編『不便なコンビニ2』を選びました。といっても、この本は2月刊行予定で、僕は推薦コメントを書かせてもらう関係で一足先に読ませてもらったのです。
もともと前作が好きで、それを出版社に打ち合わせに行ったときに伝えたら、担当さんの耳に入って「ぜひコメントを!」となりました。いや、前作のファンとして刊行前に読ませてもらえてとてもうれしかったです。内容も前作同様とてもよくて、個人的にも刊行が楽しみです。
僕の作品みたいな、つまりヒーリング小説(ほっこりではなく、ヒーリングです。人間の癒しや再生をテーマにしている作風)がお好きな方はきっと気に入るのでは、と思います。
最近は韓国の小説が面白いですね。韓国といえばドラマは過激なのが多いですが、小説は癒し系の作品が人気というのも不思議だけど、そこも含めて興味深いです。
というこで、また。

2025.01.07 Tue.
トトはフローラル
今日も寒い朝だったけれど、ジウとお散歩。すると、トイ・プードルを散歩しているご近所の方に遭遇。この方はジウのファンなので久しぶりに会ったジウに大興奮。
「おばちゃんにも触らせて〜。ああ、ジウちゃんかわいい」とジウをさわさわしながら大層喜んでおられました。ジウは幸せを運ぶ天使ですなあ、とこっちまでほんわかした気持ちに。
その方が「猫ってあんまり臭いしないんですねえ」とジウを触った手の匂いを嗅ぎながら感心しておられた。たしかにワンちゃんは触ったあと、結構手にワンコの匂いつきますね。「猫は体臭あまりないんですよ」と言うと、驚いておりました。
でも本当のことを言うと、ジウちゃんはうちの中では「オスの中のオス」って感じの子なので、他の子に比べるとけっこう野生臭というか獣臭みたいなのがします。天国に行った先代猫のにゃあ太は男の子だったけど「ぼくね、ぼくね」と言う感じのおっとりさんで、だからなのか、ジウほど野生臭はしなかった。
で、うちに初めてきた女の子トトさんは、これが嗅ぐたびに驚くのだけれど、まったくの無臭。ぜんぜん動物の匂いがしないんです。さすが我が家のアイドル猫さまです。でも、もっともっと匂いを嗅いでいると、ほんの〜りとその無臭の中に花のような甘い匂いがするときがあります。
僕と妻は「トッちゃんすごいね〜。アイドルだねえ」とそうして匂いを嗅いでは褒め称えているのでした。そしてトトの自己肯定感は爆上がりで、写真のようなアイドル的上目遣いで甘えてくるのです。というわけで、今日撮れたトッちゃんのスーパーショットでした。

2024.10.07 Mon.
頭をカラッポに
またちょっと日記を書く感覚が空いてしまった。
空いてしまったここ一週間くらい、何をしていたかと言えば、頭をカラッポにする練習をずっとしていた。いわゆる禅の修行。とはいえ、仕事や日常生活は普通に送っていて、単純に家で一人の時間にそうして練習する時間を多めに取っていたというだけ。
なぜかと言えば…とにかく思考がうるさくてたまらなかったから!
もともと左脳優位人間なのか、いつもいつも考え事ばかりしてしまって、一人でクタクタになってしまう人間なのだけど、ここ最近は特にそれが顕著だったので、
「よし、気合いを入れて思考を減らそう!」
と思ったのです。何しろ朝起きた瞬間から、自動思考が波のように押し寄せてきて1日を無意識に思考に飲まれて送ることになってしまうので、そうならないためには自分に強く念じるしかない。
なので、午前中からしっかりと集中できる時間をとって、自分の思考と向き合い続ける一週間を送ってみたのです。ああ、疲れた。でも得るものは大きくて、だいぶ頭の中の思考をカラッポにできるようになってきた。
ということを言うと、「そんなに頭の中ってうるさいものですかね?」と不思議がる人がいるけれど、おそらくそういう人は、自分の自動思考にも気づけていないのだと思う。ポジティブな人はそれでもいいのかもしれない。でも普段からネガティブな思考が浮かびやすい人は、思考まみれだと人生そのものが不幸になってしまう恐れがある。そう、僕のように根が心配性で、それなのに思考をやめられない人間は特に。
とにかく、そのように努力をしてみた結果、おかげで思考がだいぶ減った、というか、思考を気にしないコツを掴むことができた気がする。
やったことは言葉にするとすごく簡単。意識を思考(頭)でなく、お腹や体の方に向ける練習。ヨガでもよく紹介される、ボディー・スキャンというやつ。でもこれ、左脳重視の人間には本当に難しい。何しろ自分の体の感覚なんて放置して、いつも考え事に浸っているのだから。
というわけで、その苦手なことをとにかく頑張って続けてみた。今までも取り組んでは挫折していたけれど、今回はもっと本気で。家でじっと椅子に座って体に意識を巡らしたり、長い散歩に出て歩きながら足の裏や体の動きに意識を向けてみたり。
こんなことやっても無駄じゃない?と思うくらい、最初は全然ダメだったけれど、ここ数日あれ?という感じに思考が静まる瞬間が増えてきた。似ている感覚としては、自転車に乗る練習をしていて、今まで全然乗れなかったのに急に乗れるようになる、あの瞬間。あるいは、楽器を練習していて、全然弾けなかったのに、何にも考えなくてもいつの間にか指が動くようになっていた瞬間。そんな感じで急にストンとコツがつかめた。
そうして振り返ってみると、今まで必死に無思考状態になろうと思考を消すことばかり考えていたけれど、その考え方がそもそも間違っていたんだなと。思考っていうのは、人間が生きていて脳が正常に機能している限り消すことはできないものなんだと気付いたというか。
思考は消せない。でも、それでじゃあ思考まみれで生きる必要はない。なぜなら思考をミュートすることは案外意識すればできる。つまり、ネガティブなことだったりを頭がどれだけ考えていようと、その音量を絞ってしまえばいいんだな、と。
そこで大事なのが、頭に向いている意識を体に向けること。頭でどれだけおしゃべりが続いていても、体の方に意識を向ける。苦手でも、こんちくしょーと思って何度でもやる。
そうしたら脳がすごく静かな時間が増えてきた。考えているけれど、ミュートで最小限に音量を絞っているので、自分に影響が出ないという感じ。代わりに意識は体へ。すると、呼吸をしたり歩いたり走ったり食べものを消化したり鼓動をしたりと、体が今まで自然にしてくれていたこと、自分が意識もしなかったことに、なんだか感謝したい気持ちになってきた。いつも思考でいっぱいで気にもしていなかった間も、ずっと体はがんばって自分を生かしてくれていたんだな、と。
うーん、あんまりうまく言えないのだけれど、とにかくそんな感じ。この文章を書いている間も、けっこう頭はカラッポ。それってすごく新鮮な体験。
というわけで、今後も思考を小さくする修行に励もうと思うこの頃なのでした。

2024.09.25 Wed.
木登りジウ
やっと涼しくなってジウとの散歩も捗るように。
ジウはけっこう木登りが好きで、お気に入りの木があると、にゃにゃにゃっと登っていく。僕の身長(174センチ)くらいまで一瞬で登ってしまう。猫の身体能力、すごいなあと毎回感心させられる。
最近は暑くてぜんぜん木登りしてくれなかったのだけど、今日は公園に行ったら久しぶりに木登りを披露してくれた!
大きな桜の木を見上げて、「ん〜」と一瞬悩んだあとで、「よっしゃ、行くか」って感じで急に木に飛びつき、にゃにゃにゃっと登っていく。「ジウちゃん、すごいよ!」と飼い主(僕)は横で大喜び。
しかし、木に登ったジウはどうするかと言うと、その場でじっとしている。その姿は木に張り付いたカブトムシのよう。なにしろ登ってみたのはいいけれど、自力では下りられないのである。なので、仕方なく、僕が木から剥がして(爪が木に刺さっているので文字通り、剥ぎ取る感じ)、下ろしてやらないといけない。
下ろされる間、ジウはずっと無抵抗。こうしてこっちが下ろしてあげるまでがワンセットなので、ジウもすっかり慣れたもので、下ろされるのを待っている。いいんだけどさ…。
というわけで、今朝もこの儀式をやってきた。ジウが見事な木登りを披露し、僕が下ろす。朝から楽しいね。
2024.09.21 Sat.
爆発!
今日の夕飯。スーパーで買ってきたちょっとお高い茶碗蒸しを一品に加えてみた。で、温める方法は「湯煎で」とはっきり明記してあるにもかかわらず、僕も妻も「いや、面倒だしレンジでいけるっしょ」と意見を一致させ、レンジにかけた。
30秒ほどしてレンジから、ボンッとギャグアニメとかで博士が実験で失敗した時になるような爆発音がした。慌ててレンジを開けたら、茶碗蒸しがレンジの中で爆発して中身が全て飛び散っていた。
ああ、なるほど。だから、「湯煎で」とはっきり明記してあったわけですね!と、すごく納得。夫婦でズボラだとこういうことがたまに起こるから恐ろしい。
結局レンジの中で四方に飛び散った茶碗蒸しの残骸をせっせと掃除することに。
食べ物を無駄にしてごめんなさい。と心の中で懺悔しながら、せっせと雑巾で拭いた夜。みなさんも茶碗蒸しはレンジにかけたらダメですよ!

2024.09.17 Tue.
浅草アンダーグランド
ああ暑い…。今日もうだるような暑さの1日。そんな中を、担当編集者さんと浅草に取材に行ってきた。前から約束していた日だったけれど、ああ、こんなに暑いなら別の日にしてもらえばよかった…。
それはともかく、浅草へ。目的は浅草の地下街。銀座線の出口から右に折れたところにある、とても古い地下街だ。なんでも日本で一番古い地下街なのだそう。そんな中を焼きそば屋さんやちょっぴり不思議なマッサージ屋、立ち食いそば、中古DVD販売店など個性的なお店が軒を連ねる。
その中にある四柱推命の占い屋さんで占いをしてもらってきた。この地下街にある占い屋という、もうそれだけでシチュエーションが最高の場所で、個人的にテンション上がりまくりだった。
ところが生年月日を伝えて占ってもらうと、「これからあなたはずっとついてない。何をやってもうまくいかない。経済的にも潤わない。3年後に病気にもなる」と言われる。しかも運が上向いてくるのは60過ぎてからだそう。
え〜、そりゃないよおと思っていると、次に占ってもらった担当編集者さんは「あなたは頭の回転が早くて、なんでもできる。これからず〜っといいことしか起きない」と言われていた。なんだ、この差は…。こっちは60歳までいいこと一つもないんだぞ。まあ、あくまで占いなので信じる信じないは、その人次第ということで…。
そのあとも、浅草周辺に詳しい担当さんの案内で、花やしき隅田川の河川敷、浅草演芸所などを見て回る。最後は純喫茶でアイスコーヒーを飲んで一息。いや、本当に暑かった。
というわけで、新しい作品の準備がまた着々と進んでいる。取材の成果が生きるのは、来年くらいかな。「来年末に出す感じでいきましょう」と担当さんとも話した。そのくらいまでに出せればいいなあと思う。
しかし占いの結果によると、来年もろくなことがなくて、新しいことをしても失敗するらしい(笑)。夢も希望もない。まあ、信じないけどね!

2024.09.16 Mon.
トルンカとスランプ
今日はやっと秋の気配が感じられる涼しさ。ジウとの散歩も捗って、ずいぶん遠くまで行った。途中、前を通ったお宅おばあさんがすごくニコニコした笑顔で近寄ってきて、ジウもいつものように愛想良く「にゃあ」と挨拶。
猫は好きだけどユーチューブなどの動画で観るくらいで直接触れ合ったことはあまりないみたいんで、ジウに挨拶されてすごく喜んでいた。その後、気の乗ったジウが目の前でお腹を出しての出血大サービス。最初は恐々手を伸ばしていたおばあさんも、「こんなにやわらかくて毛並みがいいのねえ」とその手触りの虜になっていた。ジウさん、また近所にひとりファンを獲得。
お知らせにも書いたけれど、『純喫茶トルンカ』の新作が来月に刊行されることに。なんだか本当に長くお待たせしてしまい、ずっと待っていてくれた方には感謝しかない。
こんなにも長く待たせてしまったのは、いろいろ理由はあるけれど、結局僕が長いスランプに陥ってしまい、ずっと書けなかったせい。ようやくそのスランプから抜け出せたけれど、本当にその道は長かった。(それについてはまた別の機会にでも書けたらと思う)
もう自分はあんまり「売れて欲しい」みたいな欲は持たず、粛々と創作をしていけたらなあと思っている。もっとも出版してもらっているので、出版社の損になったりしないくらいはやっぱり売れて欲しいというのはあるけれど、でもそれも自分のためとかではないなあ。暮らしていければ十分だし、ありがたいことにそれくらいの収入は今得ることができている。
とりあえず、僕にできることはまたスランプにならないよう、心と体に気を配ること、そしてなるべく楽しく創作を長く続けていくこと。
スランプにならない秘訣は、適度な運動、食事や睡眠、思考がネガティブに偏らないように日々瞑想などで整える、そして毎日感謝を忘れずに。当たり前のことなのだけど、意外とむずかしいこと。それでもこれからもいい作品を書くために続けていこうと、気持ちを新たにしたりしなかったりした日でした。

2024.09.15 Sun.
良い習慣
なんだ、今日も暑いじゃないか!約束が違う!9月の中旬っていうのは、秋の気配をはらんだ涼しい風が吹いてくる季節だったはずじゃないか。少しずつ木々の緑の色も落ち着いてきて。近所の公園のどの木もびっくりするくらい緑をわさわささせている。
そんなわさわさ深緑色の木々の生える中、じりじりと肌をやく太陽の下、今日もジウの散歩。できれば日陰を歩きたいのだけど、そんなものはジウさんにはお構いなしで、ひなただろうが日陰だろうが、自分の行きたいところにはグイグイ行く。
しかも途中で「もう抱っこし連れて帰ってくれ」モードになって、突然道端でグテンとし出すので、そこからは5キロ弱のジウを抱っこして炎天下の中、家まで歩かなければいけないという…。
まあ、朝に必ず外に出て太陽を浴びる習慣が身についたと思えば、いいのだけど。それにしても暑いよ…。
習慣といえば、今まで人生ではじめて一番よかった習慣といえば、瞑想。
いつもうるさい頭のおしゃべりを止めたくてはじめた習慣だけど、本当にすごい効果を発揮してくれている。頭のおしゃべりもだいぶ静かになったというのももちろんあるけれど、それ以上に明らかに人生の幸福度が増した。毎日、幸せだな〜と思って過ごせる時間が確実に増えたというか。
そして今まで自分がいかに怒ったり、イライラしたり、心配したり、クヨクヨしたり、と思考に振り回されていたかがよくわかるようになった。わかって、冷静にそれを客観視して、手放せるようになった。そう、瞑想とは少し自分と距離を置いて、自分の気持ちを客観的に見られるようになるテクニックなのだ。スピリチュアルとか神秘的なものでもなんでもなく、ただ心の技法として、本当に素晴らしい。
おまけに心にこだわりがなくなったので、悪習慣だったり悪癖みたいななかなかやめられるようになって、遊びに行ったりだらける代わりにジムに行って運動したり、さらに良い習慣が身についた。というわけで、ジウの散歩のように、朝の瞑想タイムは欠かせないものになった。
毎朝30分。これからも続けていこうと思う。今目の前にある幸せをより感じられるって本当に素晴らし。良い習慣って大事。